凛として生きること
建築の設計をしていると様々な施主に出会う。
人が様々なんだから、施主も様々なんでしょうが。。
竣工後、機会を見つけては近くを通った際は見に行くこととしているが、10年経っても
変わらず維持し続けてもらっているものもあれば、なんでもう少し丁寧に維持できない
のかなあと思える物件もある。
先日、見たものは酷かった。
竣工後、全く連絡が取れなくなり、盆、正月の年賀状は交わしていたのだけれど
寄ってみたら、なんと設計の根幹に関わることが何の連絡もなしに改悪されて
いたのである。
あれだけ設計説明をして、工事もコストが厳しいからと、設計者自らタイルを貼り、
塗装もした案件である。
この施主の自分の建物に対する丁寧さが欠落しているのはこの数年で理解はしていた。
が、この惨状は情けないにもほどがある。
年を召された方で、お金はないが、毎日を凛として身ぎれいに生きていられる方が
いる一方で、同じ環境でも身近に、ゴミを集め、だらしなく方向のない生き方をしている人もいる。
それはお金があるなしではなく、信念、生き様、コンセプトなどの貫かれたものに
導かれているかどうかなのだろう。
ゴミを自分の建物に平然と取り込んでいるのだ。
だらしなく生きているのだ。
なぜ、凛として生きられないのだろうか???